KEY PERSON PROFILE
安田 菜津紀
やすだ なつき / Natsuki Yasuda
- フォトジャーナリスト
フォトジャーナリスト、Dialogue for People副代表。難民や貧困、災害の取材を続ける。16歳で訪れたカンボジアでの出会いから、そこで知った人々の暮らしを写真と言葉で伝え始めた。
出典 2件
基本情報
- 主な役割
- フォトジャーナリスト
- その他の役割
- Dialogue for People 副代表
- 出身
- 神奈川県
- 学歴
- 上智大学
- 生年
- 1987年
専門テーマ
公開情報と根拠資料から確認できる、代表的な専門領域です。
難民や貧困の取材
東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で取材し、困難な状況にある人々の経験を写真と言葉で伝えている。
災害後の暮らしの記録
東日本大震災後、陸前高田を中心に撮影を続け、報道と家族の記憶の両面から写真の役割を語っている。
写真と言葉での発信
撮影に加えて記事を執筆。Dialogue for Peopleの執筆者ページには、2026年10月の取材記事も掲載されている。
経歴
確認できる出来事を年代順に掲載しています。転機は年表内に示します。
1987年、神奈川県生まれ。16歳で「国境なき子どもたち」の友情レポーターとしてカンボジアを訪ね、同世代の子どもたちと交流した。帰国後は雑誌社に連絡して経験を伝えたが、写真を本格的に志したのは大学時代に渋谷敦志と出会ってからだった。上智大学を卒業。海外の取材に加え、2011年の東日本大震災後は陸前高田を中心に記録を続ける。現在はDialogue for People副代表として活動し、2026年10月にも取材記事を発表している。
年表
神奈川県に生まれる
現在の所属団体のプロフィールに、神奈川県生まれと記されている。
カンボジアで同世代の子どもたちに会う
国境なき子どもたちの友情レポーターとして取材。帰国後、経験を伝えるため雑誌社へ連絡した。
写真展で一枚の写真が記憶に残る
アンゴラの難民キャンプで撮られた母子の写真を見た。後に撮影者が渋谷敦志だったと知る。
渋谷敦志との出会いから写真を志す
国境なき子どもたちの事務所で渋谷に会い、写真への関心を話したことが本格的な撮影への契機となった。
- 転機
陸前高田で記録を続ける
東日本大震災後、陸前高田へ向かった。撮影へのためらいも抱えながら、町の暮らしを記録したと振り返る。
災害を外へ伝える撮影 → 暮らしの記録として残す撮影も
報道する側の目的だけでなく、撮られる側に写真がどう残るかを考えた経験だった。
写真が音楽の作品にも使われる
シリア難民を撮影した写真がYEN TOWN BANDのシングル「アイノネ」のジャケットに採用された。
取材と発信を続ける
Dialogue for People副代表として活動。10月23日付の取材記事も同団体の執筆者ページに掲載されている。
著書・連載・番組
公開資料で確認できる主な仕事です。年表と重なる項目は該当する時期へ案内します。
陸前高田を中心とした震災後の記録
2011年の東日本大震災以降、町や人々の暮らしを継続的に記録している。
アイノネのジャケット写真
YEN TOWN BANDのシングルにシリア難民の写真が採用された。本人取材で経緯を話している。
考え方
公開発言と実践をもとに、出典のある論点を編集部が整理しました。
一貫している軸出会った人の暮らしを伝える写真と、その人や家族に残る写真の両方を考える。
シャッターの前に、会話する
本人の発言・行動2015年のGQ JAPANの取材で、まず相手と出会い、話し、時間を共にすることが撮影の前提だと説明した。
編集部の読み写真に写る場面とともに、撮影に至る関係を仕事の一部として考えている。
写真にできることの限界も引き受ける
本人の発言・行動2013年の取材で、写真で目の前の人を直接救うことはできないという無力感と、状況を伝える役割について話している。
編集部の読み伝える仕事の意味を、撮影すれば問題が解決するという説明にせず、現地で支援する人の仕事とも区別している。
本人の言葉で知る
取材・登壇・著書など、本人の発言をたどれる公開資料です。
参考資料
経歴と考え方の確認に使った全資料です。最終参照日と、記載がある場合は公開日も示します。
掲載方針
このページは公開情報にもとづく人物記録です。本人・所属組織との提携や公認を示すものではありません。事実関係の修正や掲載削除のご連絡を受け付け、参照元を確認したうえで対応します。


