KEY PERSON PROFILE
舘野 泉
たての いずみ / Izumi Tateno

- ピアニスト
フィンランドを拠点に活動してきたピアニスト。1960年にデビューし、2002年の病気の後、左手による演奏で舞台へ戻った。作曲家への委嘱で左手の作品を広げ、同じ曲でも毎回新しく演奏することを本人が語っている。
出典 3件
基本情報
- 主な役割
- ピアニスト
- 演奏デビュー
- 1960年9月
- ヘルシンキ移住
- 1964年
- 左手の初リサイタル
- 2004年5月 紀尾井ホール
専門テーマ
公開情報と根拠資料から確認できる、代表的な専門領域です。
ピアノの演奏
日本とフィンランドを中心に演奏し、2004年から左手による作品で舞台に立ってきた。
左手の作品を広げる活動
左手文庫と作曲家への委嘱を通じて、新しいピアノ曲を作り演奏する機会を増やしている。
技術と音楽の表現
同じ曲でも毎回違う表現として向き合い、演奏の技術を目的そのものにはしないと語る。
経歴
確認できる出来事を年代順に掲載しています。転機は年表内に示します。
舘野は1960年に東京藝術大学を卒業し、同年9月にリサイタルでデビューした。1964年にヘルシンキへ移住して、フィンランドを拠点に演奏を続ける。2002年、タンペレの演奏会で脳溢血に倒れ、右半身に麻痺が残った。2004年5月に紀尾井ホールで左手による初リサイタルを行い、舞台へ戻る。2006年には左手のピアノ曲のための左手文庫を設立し、作曲家への委嘱と演奏で作品を広げた。2012年から海外公演を再開し、その後も演奏を続ける。2026年11月には90歳を記念する公演が予定され、演奏のたびに新しく表現する姿勢を取材で話している。
年表
藝大卒業、演奏デビュー
東京藝術大学を卒業し、9月に第一生命ホールでデビューした。
- 転機
ヘルシンキへ移住
フィンランドを拠点に、演奏と音楽の仕事を続けた。
日本で演奏を始める → フィンランドを拠点にする
ヘルシンキへの移住で、演奏する場所と音楽との関わりを広げた。
演奏会で病気に倒れる
タンペレの演奏会で脳溢血に倒れ、右半身に麻痺が残った。
- 転機
左手のリサイタルで復帰
5月、紀尾井ホールで左手による初リサイタルを行った。
病気の後の生活 → 左手の演奏で舞台へ戻る
本人の演奏を左手の作品へ変えて、リサイタルを再開した。
- 転機
左手文庫を設立
左手のピアノ曲のための左手文庫を設立し、委嘱などで作品を広げた。
左手の曲を演奏する → 新しい左手の作品を増やす
委嘱と左手文庫により、演奏する作品を作曲家と広げていった。
演奏と作品への考えを語る
4月の本人取材で、技術と表現、毎回新しく演奏することを説明した。
90歳を記念する公演の予定
11月10日、浜離宮朝日ホールの公演が案内されている。実施済みとはしない。
代表作と活動
公開資料で確認できる主な仕事です。年表と重なる項目は該当する時期へ案内します。
左手によるピアノ演奏
2004年5月のリサイタルから、左手による演奏を続ける。本人取材と所属略歴で経緯を確認。
経歴の該当項目へ移動 →左手文庫と作品の委嘱
2006年設立。作曲家へ新しい作品を委嘱し、左手のピアノの作品を広げる活動。
経歴の該当項目へ移動 →絶望している暇はない
2017年6月の小学館の紹介・抜粋を確認。本人著の書籍全体は未読。回復の経験を治療の助言にしない。
経歴の該当項目へ移動 →考え方
公開発言と実践をもとに、出典のある論点を編集部が整理しました。
一貫している軸技術を表現のために使い、同じ曲でもその都度新しい演奏として向き合う。
同じ曲でも変わる
本人の発言・行動2020年の本人取材で、同じ作品でも演奏するたびに表現やフレーズが変わると話す。
編集部の読み編集部は、過去の演奏を再現するだけでなく、その場の表現を考える姿勢と読む。実際の演奏を比較して評価したものではない。
完成という固定点を置かない
本人の発言・行動2025年の本人取材で、技術は表現のためのもので、曲を完成させたと固定せず毎回新しく向き合うと説明する。
編集部の読み編集部は、長い演奏経験があっても作品を考え直す姿勢と読む。病気の経験から、誰もが同じ回復や仕事の復帰を得られるとはしない。
本人の言葉で知る
取材・登壇・著書など、本人の発言をたどれる公開資料です。
参考資料
経歴と考え方の確認に使った全資料です。最終参照日と、記載がある場合は公開日も示します。
掲載方針
このページは公開情報にもとづく人物記録です。本人・所属組織との提携や公認を示すものではありません。事実関係の修正や掲載削除のご連絡を受け付け、参照元を確認したうえで対応します。
